信仰について
- 2018/06/21
- 19:56

信仰は必ずしも宗教(註1)とは限りません。
もちろん、極めて類似したものでは
ありますが、信仰は宗教より
自由なものだと思います。
信仰も宗教も、人それぞれの
心の中にあるものであり、
他より強制されたり他に強いたりする
ものでないことは申すまでもありません。
一心こめて祈るところに信仰があり、
宗教が生まれるのです。
また、宗教には一つの戒律がありますが、
信仰はその点、あくまでも自由で、
もし戒律があるとすれば
それはその人の心の戒律だといえます。
祈るということは、
願望することではありますが、
これは本来の自己を正としての祈りであり
願望でなくてはならぬことは
申すまでもありません。
要するに信仰し、祈るということは
他から一切さまたげられぬ
自己心の発露であるわけです。
これを人によっては
自己逃避、自己満足でしかないと
みるかも知れませんが、
祈りの中に自己を投入せしめることは、
精神的安定につながり、
安らぎの生活を得ることが出来ます。
祈る対象が何であっても、
すべての雑念を捨てて祈るところには、
人間の真実の姿がみられます。
真実の姿こそ正の姿であり、
邪心を去った心境に到達することが
出来るのです。
要するに祈るとは・・・・・
自我を捨てて、神仏の境地と一体に
なることだと考えます。
この時点から始まる生活こそ、
自由自在であっても、
何ら道をはずれていない、
人間としての最大の願望である
生活ではないでしょうか。
(註1)ここでの宗教とは、既成の宗教を指します
児玉語録
和歌山断酒道場 前道場長
児玉正孝先生訓話集
     



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