孤独の自覚
- 2018/06/22
- 19:30

人間は孤独でありますが、
総体的な孤独では生きていけません。
人間社会が共存共栄の集団生活を
営んでいる以上、
何らかの形で他人の影響を
受けざるを得ないのであります。
相互援助によって生きているわけです。
しかし、これらは物質的な表面上の
問題であって、
その内面すなわち精神面においては、
人間の死が孤独であるのと同様に、
これも孤独なのです。
人間が孤独であればあるほど社会の互助
あるいは対人関係といったものが、
より以上に大切になってくるのです。
ただ、これらが度を越しますと、
自己的な欲望となり、
他をかえりみない自我自執の行動となって
表われてくるのです。
ここに孤独の自覚というものが
重要視されてくるのであります。
人間は元来、孤独ではありますが、
それだけでは生きていくことは出来ず、
多くの第三者的恩恵を受けることによって
始めて生きていけるのです。
そのためには己れを生かすためには
他を生かさねばならぬということに
なりますが、これではいけないのです。
現在、己れが生きておられるのは
他人様のお陰なのだ、
従って他を生かすべく奉仕することが、
己れもまた生かされる道だ、
という考え方が大切でもあるのです。
他を生かす、他に奉仕する心境に
到達するには、先ず順序として
地球上で頼りになるものは、
自分以外には、何ものをもないという
孤独の自覚を経験して来なければ、
「一人では生きてゆけない。世の多くの人々の
恩恵によってこそ、始めて生かされている・・・」
という真実は分りません。
孤独の自覚が崩れ始めてこそ、
人の和も分り、人に対する感謝の心も湧き、
他に奉仕せずには居られない、
心境にもなります。
ここに孤独の自覚の必要性があるのだと、
八丈島での独りの生活の中で
私は体験致しました
児玉語録
和歌山断酒道場 前道場長
児玉正孝先生訓話集
     



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