酒に囚われぬ心
- 2018/06/29
- 13:21

禁酒、断酒と、それのみに囚われることは、
ちょうど柱時計が止ったからといって、
振り子を一生懸命に磨いたり、
修理するに似ていると思うのです。
アル中・・・とは神から人間のみに
与えられた唯一つの万物の霊長たる特権、
すなわち使命と可能性を放棄して
動物界に脱落した、ただの人の哀れな姿だと
私は考えております。
アル中の日常生活をよく観察しておれば、
お分りのように、
動物と同じように本能につながることしか、
やっておりません。
例えば
人間は働きます。動物も働きます。
しかし、動物の働きはどこまでも、
自分のためにのみ働きます。
食欲、性欲につながる働きでしかありません。
人間は本能につながらない働きもいたします。
すなわち他人のため、社会のために働きます。
本能につながらない働きは
容易にできることではありません。
並々ならぬ努力を要します。
なるが故に人間は今日の如く、生々発展していますが
動物は千万年前も今日も一歩だに前進しておりません。
ここに人間が万物の霊長といわれる所似が
あると思っております。
アル中の働きはどうでしょうか。
両親を初め妻、子、家族のため隣人社会のために
益する働きをしているでしようか。
自分のためのみしか考えぬ一方通行の
日常生活ではないでしようか。
この事態は最早や人間性を失った
動物的な行動でしかありません。
アル中からの脱出とは・・・万物の霊長たる所似である、
使命と可能性を自覚して、
動物的な人から人間に復活しない限りは、
アル中からの脱出とはいえないのです。
すなわち「酒にしばられた心」を振り捨てて、
本能につながらない、
人のため社会のために働くことを
実践するようにならなくてはならないのです。
児玉語録
和歌山断酒道場 前道場長
児玉正孝先生訓話集
     



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