照顧脚下
- 2018/07/02
- 18:55

禅家でよく使われる言葉の一つで、
足許に目を注げの意であることから、
私は道場生に、
常に、履物を整えよ、心を調えよ・・・
の注告の言葉として使っていますが、
盗人でも玄関の履物が
よく揃えてある家には入らぬと申しますように、
履物が整えられてあることは、
その家人の心が整えられておる証拠で
全てが整理されているが故だと思います。
足下といえば、
自分の足許は足さぐりでも分る程に、
自分にはよく知っているが為に、
アル中はとかく、
他人の足許、手許の方へと目が移り、
他人の栄誉・栄華を、うらやましがったり、
憎んだりして自分の不幸を愚痴る不平・不満が
故に逃避する一つの原因にもなるのです、
故に常に自分の立っている足下、
即ち座を確める必要があるのです。
子供に対しては父親としての座に立っている、
妻に対しては夫の座、
親に対しては息子としての座に
今、自分は立っている。
此の座の責任と義務を確かめれば
酒は飲めない筈なのに、
往々にして足下を忘れて他に目が移り
心が乱れるが故に。
盗人ならぬ酒魔が食い入るのも当然の事と思います。
故に現在自分が立っている座を
忘れぬよう心すべきであります。
児玉語録
和歌山断酒道場 前道場長
児玉正孝先生訓話集
     



- テーマ:メンタルヘルス
- ジャンル:心と身体
- カテゴリ:児玉語録・和歌山断酒道場
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