あとがき・児玉語録
- 2018/07/03
- 20:39

十年前にアル中は治らないものとして、
家族から社会から谷底に蹴おとされていた私が
妻の唯一人の愛情の支えによって、
どうやら生きのびて、谷間を這いのぼって
現在に至りました。
この体験を生かして、世のアル中と共々に
修行している場が「和歌山断酒道場」です。
では何故にアル中には修行が必要なのかー
アル中は狂人ではありませんが、
精神異常者であるが故にアル中の治療も・・・・・。
人間生れながらにして持っている
「思いやりがあって親切な」
愛の思想育成をする精神療法が、
私の体験上、最も肝要かと考えたからです。
過去十五年間のアル中時代と断酒十年の
二十五年間の体験を通じて私なりに覚えましたことは
「酒は止めるものではなくして、飲めなくなるものだ」・・・・・
これを私は断酒と称しています。
例えば電車の踏切り番が遮断機を下ろしますと、
我々は黙って止まって待ちます。
遮断機が下りれば電車が来るものと
信じているからでしょう。
しかしよくよく考えて見れば、それは逆でして
電車が来るから遮断機を下ろすのです。
我々アル中は酒を止めれば、
すぐにも家庭が平和になり、
経済も豊になるものと信じて、
禁酒、断酒と酒、酒にいつ迄も
こだわっているのです。
酒を止めたとて早急に藏が建ったり、
家庭が円満になるものではありません。
ここにアル中から脱けだせぬ
大きな落し穴があったのです。
遮断機が下りなくとも電車の来るのが見えれば
誰れしも止まって待つのが常識です。
人間は誰れも皆んな人の子であると同時に、
やがては人の親になります。
これと同様に自分が
世の人々の支えによって生かされている・・・・・
と云うことが分れば、やがては世の一人一人を
生かしてゆかねばなりません。
こうした人の誠の道を会得すれば
酒は飲めなくなってくるのが常識です。
これ程ハッキリと分っている道理を
本末転倒しているが為に
三ヶ月或は半年断酒しては又しても
失敗の繰り返しを続けて来た訳です。
前述の人の誠の道を前進させるために
愛の思想育成の精神療法が必要となってくるのです。
《中略》
どうせ未熟な私個人の見方ですから、
多々偏向もあることとは存じますが、
自分としては、深く、広く、アル中の実態、
アル中の心の真相というものを
掘り下げたつもりです。
この小冊誌が世のアル中の方々の一歩前進のために
役立ては望外の喜びです。
昭和四十六年九月三十日
和歌山断酒道場前道場長
児玉 正孝
     



- テーマ:ありのままの自分になるために。
- ジャンル:心と身体
- カテゴリ:児玉語録・和歌山断酒道場
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